特別支援学校の不思議
ついに4月になりました。
私の息子は春から中学生です。
まだ入学式を終えてはいないものの、4月1日を過ぎた時点で一応中学生としてカウントされるのです。
支援学校の小学部を卒業し中学部に入学します。
通学先が変わらないので、あまり大きな不安もなければあまり大きな緊張感もないと言うのが今の状態です。
今日は「支援学校の不思議」と題して、一部支援学校批判のように捉えられることも書くかもしれませんが、私は支援学校で出会う全ての人に感謝して尊敬していると言うことだけ先に書いておきます。
支援学校にはランドセルが必要ない
とうとう支援学校の小学部を卒業しましたが、息子にランドセルを買うことはありませんでした。
我が子が小学生になる時には、ランドセルを買うというのが一種の楽しみでもあるように思うのですが、支援学校にランドセルを持ってきている子供を見たことはありません。
ところで、この本を知っていますか。
障害児教育や福祉に携わる人なら読んだことがある人は多いかもしれません。
でも、保護者という立場で読んでみてもなかなかにグッとくる内容なので、よかったら図書館などで借りて読んでみてくださいね。
ざーっくりと言うと、
戦後すぐ滋賀に特殊教育の施設を作った人のドキュメンタリー!のようなものです。
そこに、こんな文章がありました。
末っ子の啓治が小学校に入学するというので妻はランドセルを買ってきた。(中略)
学園の誰がランドセルをもって教室にかよっていようか。意味のない虚栄心だといってきめつけた。
「でもせめて世間なみな気持ちだけでも味あわせてやりたかったのです。あんなに喜んでいるんですもの」
と妻はしどろもどろのいいわけをした。
支援学校に通わせる親としてはこの気持ちが痛くわかって、つい涙が出そうになりました。
結局、本文中でこのランドセルは返品したとありました。切ないですね。
確かに、ランドセルって機能的経済的に考えて全く不要なものにも思います。
特に、今時はもっと安くて軽くてかつ丈夫なかばんは世に溢れているから。
それでも、なんでだろう。ランドセルを持たせてやれないことを不意に申し訳なく思ってしまうことがあるんです。
まあ…そうは言っても実は私自身ランドセルではなく「ランリュック」を使う学校だったんですけどね。
だからこそ、ランドセルという一種の文化みたいなものに憧れがあったのかもしれません。
少し話が逸れましたが、支援学校にはなぜランドセルがないのでしょう。
そもそも、地域の学校でランドセルを使っている子ども達とは、持ち物が全く違うんですね。
教科書などを持ち歩くことはなく、着替えやタオル、食器類や水筒、紙パンツなどを入れます。
人によっては薬や医療的ケアの物品を持たせる場合もあるかもしれませんね。
軽くて嵩張るものなどを入れるのには、ランドセルは確かに不適切な気がします。
逆に、教科書のデジタル化が進めばランドセルというものがそもそもなくなるかもしれませんが。
支援学校には制服がない?
これは、全ての学校に当てはまるわけではありませんが、制服がない支援学校の方が多いです。
日本全部の中学高校で見れば、多様性と言いながらもまだまだ制服がある学校の方がダントツで多いですね。
これも、ランドセルと同じで、制服がなくても困ることはないし、他にもいい服が今はたくさんある。
その一方で、制服という選択肢自体がないというのは寂しい気持ちになります。
自分が中学生になった時を思い出すと、人生で初めての制服にすごくドキドキしたものです。
友達同士で、スカートの長さをどうしよう?なんてキャッキャと盛り上がったのを思い出します。
そんな、どうしようもない正当性もないようなただの寂しさが込み上げます。
支援学校は職業訓練所?
最後に、一番不思議に思っていることです。
支援学校では、小学部では教科的な学習はほとんどなく、幼児教育にも近いものを感じます。
発達遅延のある子どもたちなので、当然と言える部分があると思います。
中学部でも、一般の小学生よりもゆっくりのペースで一部のみ教科学習を取り入れられます。
これも、ゆっくりペースで教育が行われることは当然のように思います。
ここまでの流れで見れば、小中学部とも「発達に遅れがあるから時間をかけてゆっくり学習していきましょう」というように見えます。
それが、高等部になった途端に職業訓練メインになるというのです。
それも、いわゆる作業所向けの作業訓練です。
作業所に行けるレベルの子どもはなんとしても高等部卒業時には作業所に入れようという思いやりのものでしょうか。
進学できないなら作業所かまたは生活介護施設にという形でとにかく社会に送り出すというのが支援学校の使命なのか?
小中学部まではゆっくりしておきながら、高等部になると今度は慌てて社会に送り出そうという考えが私にはいまいち理解できません。
我が子が小学部を終えたばかりの1人の母親としては、このペースでいくなら少なくとも30歳くらいまではゆっくり勉強した方がいいんじゃないかとも思えます。
果たして、小中学部で勉強らしいものをしなかった子どもをいきなり訓練させ社会に放り込むことは良いことなのか。
先述した糸賀さんの本では、生活即教育、生産即教育という言葉が使われていました。
でも、これはあくまでも戦後の話です。
障害児教育で必ずしも生産性を求めるというのは、今の時代にも必要だろうか。
それは、教科学習を犠牲にしてでも優先されるべきことなのだろうか。
「学校を卒業したら社会に出る」という部分で一般に合わせるのではなく、学習の量で一般に合わせてみたらどうだろうか。
息子を見ていると、ゆっくりでも丁寧に教えれば理解していくように見えます。
そう考えると、大幅に遅れをとってでも義務教育の部分だけでも終えられるまで学習を続けていくとどうだろう。
もちろん、本人が作業所に行きたい、職業訓練をしたいと言えば別だけれど、もし学習をしたいと本人が望むなら、何倍の時間がかかっても学習をさせてあげたい。
本人に発語がないために判断はとても難しいけれど、私はこっそりとそんなことを考えることがあります。
平等ってなんだろう。
年齢で考えれば、30歳まで勉強させる!なんて言うと私の方が変な差別をつけているように見えるけれど。
学習の量で見れば、18歳で社会に送り出すために学習を削る!なんて言うのもまた一種の差別のようにも思う。
もちろん、どちらも「本人のために」という思いの上でなんだけれど。
まだまだもっともっと無限に選択肢はあるはず。
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