こうちゃんとママの幸せ奮闘記

息子は全前脳胞症という病気で、知的、身体障がいあり。特別支援学校に通っています。病気についてのことや、車椅子でのお出かけについて、障がい児とその家族の、楽しい日々の奮闘について書いていきます。

こうちゃんのコミュニケーション力〜知的障害とは〜

新型コロナウイルスの影響で、メルカリ等フリマアプリでは100均のマスクが1000円超えで転売されてます。
堂々と100均のロゴを見せた写真で、それでも1000円以上で売れてるなんて、異常ですよね^^;

昔にはオイルショックでトイレットペーパーが街から消えた?なんて話があったとかなかったとか?
でも今の時代でも変わらないんやなーと、、

政府がマスクを買い占めて本当に必要なところに配布するという案をテレビで言われてましたけど、本当にそうあるべき段階かと、、
市販するのを一旦やめちゃえばいいのになー
ひとつの感染が命に直結する心配を抱えている人たちもいますから。

健康な若者たちは、100円マスクに何千円も出すより、手洗いをマメにして体調悪くなったら早めに休む、その方が良くないですか?

ところで、この前飲食店に行ったら店内の手洗い場に行列が出来てて、みんな手を洗ってアルコール消毒してから席につくんですね。
それから、スマホで料理の写真撮ってお互いの写真も撮って、SNSに上げて、いただきまーす!
って、それでいいの?!
スマホは除菌されてませんよねえ??^^;
結局マスクも手洗いもまあ、しないよりはマシやけど完全ではないことを意識して、普段の自分の体調をしっかり見極める、それが大事かな〜なんて、思います。

前置きが長くなりましたね(^^;;

こうちゃんの知的レベルは?



私は、こうちゃんを「知的障害児」と呼ぶことに違和感があります。
でも、結局は単なるカテゴリーであると自分の心の中に前置きをしつつ「知的障害」という言葉を使っています。

療育手帳の発行時や更新時など、知的レベルを測る「発達検査」があります。
うちの市だと、「子ども家庭センター」というところにわざわざ行って診断してもらうんですけど、、

なぜかここの建物、めっちゃ薄暗くて雰囲気がちょっと苦手、、汗
たまたま設備的に仕方ないのかなぁ…と思うけど、建物が薄暗いだけで、ちょっと気分も暗くなりがちですよね(泣)

で、発達検査をするわけですが…
「車はどこに行ったかなー??」→無視
「この形と同じものわかるかな??」→無視
「つみきを積んでみてくれるかな?」→テーブルごとひっくり返そうとする(笑)

まあこんな感じで、だいたい困らせるだけ困らせて終わります。
なので、検査結果は1歳半や1歳10ヶ月やら、納得いかないと言っても測定不能だとかって言われます。

知的障害児者の本当の知力を検査できる方法



こうちゃんは、わたしには解読不能なパズルアプリを難なく解いていたり、見るだけで嫌になりそうな人体解剖図鑑を何冊も並べて見比べたりしています。

確かにこうちゃんには不器用な面があり、幼稚な面もありますが、かなり有能な部分もあると思うんです。
国語が得意で算数が苦手だという子どもを、算数障害だとか言いますか?

例えばこうちゃんの知的レベルを六角形のチャートにしてみたら、超絶アンバランスなチャートが出来上がると思います。
でも、まずそのチャートの作り方から間違っていて、それを正確に作り上げる方法に巡り合っていないという風に思う、、

そもそも、日本は子どもを平均化したがりますよね?
国語が得意で算数が苦手な子どもに勉強を教えることになったら、まず何を教えますか?
苦手な算数を教えてあげよう。って思いませんでしたか?
全教科を万遍なくこなせる人が賢い人だっていう認識が強くないですか。

でも、自分の子ども時代を振り返ると、なぜもっと得意教科に時間を使わなかったのかと思います。
得意教科は勉強しなくても良い点が取れるからと、苦手教科ばかりに必死になって、、
ちなみに私は理科と社会が苦手だったんですけど、テスト前には丸暗記できても未だに理解なんてほぼできてません^^;

言葉とコミュニケーション



こうちゃんと毎日ずっと一緒にいると、誰よりもこうちゃんは「伝えたい」気持ちが強いと感じます。
そして、「伝わらない」ことにストレスを感じているようです。
こうちゃんは言葉が話せません。
でも、身振り手振りや指差しや声の出し方、表情、簡単な手指のサインや全身を使って必死に伝えようとしてくれます。
私は普段からこんなにも「伝えよう」としているかな?言葉で言って伝わらないと、この人はわかってくれないって簡単に諦めたり…そもそも伝える前から諦めていたり…

そこで思うのは、私は言葉が喋れるということに傲慢になって、実のところはコミュニケーションを疎かにしてるんじゃないかということ。
野生の動物をイメージしてみると、鳴き方や匂いや状況で判断し、言語がなくてもやりとりしますよね?

例えばこうちゃんと同じ子どもが100人いる町に私が入ったら、言葉しか使えない私は障害者じゃないか?って思うんです。
こうちゃんだけじゃなく、言葉が喋れないけど伝えたいことがあるという「知的障害」の人はたくさんいます。
そんな人と向き合った時、
「この子喋れないんだ〜」で終わってほしくないんです。
必死に伝えようとしている彼らの「ことば」を読み取れない自分のコミュニケーション能力の方も一度疑ってみてほしいんです。
↑私自身にも言い聞かせてます。
そうしたら、もう一歩変わるのかなぁ?なんて、、

そんなことを最近ずっと考えていたら、
たまたま息子と行った図書館でこんな本を見つけました。

(一応Amazonのリンクも貼っておきます。)


この本には、知的障害とは言語によって作られているという風に書かれていました。
障害についてはまだまだ掘り下げていくと新しい発見がありそうで興味深いです。
こうちゃんにとって、そして全ての「障がい児者」にとって、その家族にとって、生きやすい社会が未来に見えるといいなーって思います。
全ての人にとって障害が完全になくなったら、障害者というものは存在しないことになりますよね?
そんなことって、でき得るのかな?

グダグダと書いてますが、あくまでも個人的な考え方であって、専門的観点は全く含んでいませんので悪しからず…。
障がい児の一人の母親として感じたことを書きなぐってます。
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